TO BE FREE

〈自分になる〉ために

週末の結婚式に思うこといくつか

週末は友達の結婚式で福岡に帰省した。
帰省といっても、僕が18までを過ごした八幡と、それから22歳まで過ごした福岡と
そのどちらかで意味はずいぶん変わってしまう。
今は実家が福岡県のまた違う場所にあるため、実家に帰ることにノスタルジーは
関連しない。

この週末は久々に実家と関係がなく、博多にホテルをとっての帰省となった。
奥さんや子供を残してきたために、せっかくだからと思い限られたスケジュールの
中で何人かの友達と話せた。

特に結婚式の参加メンバーは結婚式の始まる昼間から夜中まで話しを尽くした。
とても楽しい時間だった。
今回は新郎側での参加だったが、新婦も同じ大学で同じクラスだったために
知っている顔を何人か見た。

その中には入学当初に隣の席だった女の子で、話しかけたかったけれど
緊張して話せなかった子もいた。
二次会では、あの緊張が嘘のように話せた。

こうゆう、いくつかの過去がつらなる場面はそうそうない。
そして、それが楽しいということはさらにまれだ。
あの浮き立つような気持ちの中で、地元に帰ろうかという気持ちも起きた。
だがしかし、そうしたメンバーのほとんどが現在福岡を離れており、
僕が帰ったところで彼らはいない。

そして、僕は月曜日の出勤を前に寂しい気持ちに襲われてしまった。
寂しさは日曜日に忘れる予定だった。
昼に大学時代の男友達で、おそらく唯一生涯続く友達と昼食の約束をしていた。
待ち合わせ時間よりずいぶん早く、僕は地下鉄に乗りかつての大学の構内を歩いた。

春休みの日曜日に、人影は全く無かった。松の木は相変わらず元気で、あたりには
松ぼっくりが転がっていた。
掲示板のある広場のベンチに腰をかけて僕は一人で音楽を聴きながら何かを
待っていた。何か?説明は難しい。
嘘みたいに晴れがましい空に、少し冷たい空気が混じる。

僕がこの季節に毎年のように思い出しそうになる悲しみは何だろう。
胸に入り込んで、離れないこの寂しさは。

僕は、ずいぶんとうまく生きていけるようになったのに。

思い出は戻らない場所にあるから大切だし、厄介なものだ。

僕が大好きなジョン・アーヴィングの作品では、
同じような気持ちを起こさせる。

誰のことも必要ないような顔をしながら暮らしているけれど

そうじゃないって知ってるもの

ずっと一緒にいようと思ってるよ 誰に対してもさ
 それが絶対にかなわないとしてもね