TO BE FREE

〈自分になる〉ために

結果 意味 なし

時々
ページをめくりたくなる本がある。

最近ではミランクンデラの「不滅」のそこかしこに潜んでいる
圧倒的な表現というものを感じている。

自分の身の回りに置けるものや、かけられる時間が限りあるものだと気づくのが
今の僕のような年齢なのかもしれない。

何かを意識的に選び取るために、何かを意識的に捨てなければいけない

僕はバッハを聴くために、ゲンズブールを聴く時間を失くしてしまった

僕はアーヴィングの長い物語をすべて読むために、僕を文学の入り口に
連れてきてくれた数々の現代作家の物語を捨てた

捨てることに痛みを感じる
そしてその痛みに安心する

意識せずに捨てられるものは悲しい
もし僕がそういった存在であるならば悲しい
それが絶対の事実だとして
それが結局僕自身がだれかれにしていることだとして

メシアンのトゥーランガリア
ピアソラのタングリア
バッハのゴルトベルク
マイルスのビッチェズブリュー
サティのジムノペディ
ドビュッシーアラベスク
ビルエヴァンスのワルツフォーデヴィ

今の僕が好むものは、意味が遠いところにある
異国の文化で創られたものだ

分からないものが愛おしい
「分かったふり」を楽しめる
そんな疎外感に満ちた満足感

僕の通勤経路には多くの望ましい世界が満ちている
それがたった2GBのipodとたった一冊の文庫本によることを
きっと電車の前に座っているあの人は知らない
そしてあの人が何を考えて虚空を見つめているのかは知らない

人が、生活を多重に必要とすることに
もしかしたら僕が表現したい隙間があるのかもしれない