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TO BE FREE

〈自分になる〉ために

無駄な抵抗

昨日は久しぶりに自分の服を買いに行った。
車で30分ほどの場所にある大型のショッピングモールである。
以前のように新宿や池袋まで出かけることは少なくなったな。

大きめの書店とCDショップとカフェがあれば、
どこへ出かけても変わらないと気付いたからかもしれない。

買い物の優先が本やDVDボックスに向かうから、
なかなか服を買う意欲は削がれる
私服になるとなおさらだ。

「お洒落」に憧れていた。もしかしたら今も憧れているのかもしれない。
お金のない母子家庭で育った僕は、その環境にも関わらず、
小さな頃から憧れを抱いていた。

恥ずかしい話だけれど、10代の頃には「エレガント」という言葉の響きに、
これだ、と思ったこともある。
空虚な言葉かもしれないが、
僕はいずれ、望むだけのものを手に入れようと思った。

憧れを抱えながらも、高校までの僕には何も行動に移せなかった。
大学になり、初めて友達とデパートのJUNのショップで
ベージュのブルゾンと黒のタートルネックニットと、
植物のつたの柄がうっすらと入ったパンツを買ったときには、
何かしらの手ごたえがあった。

人は望むものに似合っていくのかもしれない。
僕は紅茶を好んだ。パスタを作り、映画の好きな女の子とお茶をしていた。
さしてお金をかけずとも、雰囲気は楽しめた。
就職してからは、美術館へ足を運んだ。
友達へのプレゼントを選ぶ楽しみを覚えた。
優しい言葉遣いが、優しい人たちを近づけた。

作り上げられた生活をおくる心地よさの一方で、
僕は大学時代とは決定的に違う事実も感じていた。

ロマンティックやエレガンスに憧れ続けるには、
社会生活とはあまりに無粋だ。
ときおり、僕は自分を殺さなければならない。
そして、いつしか皆がそうしてなんとか仕事をしているのだと
気付いた。

会社というものは人格を持つ。
法人格とは、複雑な迷いを抱えながらも一つの目的に向かう人格だ。
そして、ある程度その場所に自分を合わせなければならない。

僕は、そうした状況に合わせることができるようになったのかもしれない。
同時に、自分の私生活を完全に自由に送ることができなくなった。

昨日服を買ったときに、ほんの少し悲しくなったのは、
無駄な抵抗かもしれないと思ったからだ。

だけど、僕は今日その服を着て、
ビルエヴァンスを聞いて、
自分で作ったカレーを食べているのだ。

無駄な抵抗かもしれない
僕はカレーのためにトマトジュースとヨーグルトを混ぜ合わせながら、
煮込んだスペアリブを眺めながら