TO BE FREE

〈自分になる〉ために

どこに心を置けばうまくいく

少しずつ僕がいわゆる「繊細な感覚」を失い始めていることに、
実は最近になって気がついた。
世界はロマンティックやメランコリーやセンチメンタルを
抱えながら生きるにはひどく乱暴だ。

問題は何か。
つかみかける、その瞬間に答えはすり抜けてしまう。
ユーモアを、僕は今望んでしまう。
自信のなさや、現実への諦めから来る笑いとはなんだろう。
嘲笑か哄笑か。

久しぶりにCDプレーヤーをかけるとMY LITTLE LOVERが流れる
ふと立ち返りそうになる、そして引き戻される。
ゴダールキューブリック、ウディアレン
映画をあまり見なくなった。
そういえば、だ。

オトナたちが、僕らが小さな頃から絶えず口にしていた脅しは本当だったのか?
来るべきときが来たとでも?

ときに世界は美しいが、おおむね乱雑で恐ろしいものだと、
そう気付けと言うのか

僕らの戦いは結局無駄だとでも?


過ぎ去ることを待つだけの半日
家族だけが生きがいだと言う人は、
それは本当のことかもしれないと僕は最近思った。
家族がいてよかったと思ってる。
拠り所という意味では、
「家」しかないのだ。

もはや芸術はかつてのように僕を救わない
身体を硬くして
心では何も感じないように装いながら
日々なすべき業務はあり、
いわゆる「あるべきコミュニケーションの形」として
僕はときに褒められたり、怒られたり、嫌われたり、気に入られたりしている

そんなことに傷つくもののことをどう思う。
僕を含めたそういったものを責める理由として
「弱さ」を挙げるのだとしたら

僕は笑うことで、
彼らを忘れるしかないのだろう

いつかは
なにもかも
いってしまう