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TO BE FREE

〈自分になる〉ために

WHEN I'M SIXTY-FOUR

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)
カズオ イシグロ,Kazuo Ishiguro,入江 真佐子
早川書房

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車を買ってから、週末に一度は運転することにしているのだが、
ドライブというものに対しての経験不足から、
車があっても取り立てて珍しいところへ出掛けたりはしない。
妻が出産準備で帰省している今はなおさら。

昨日は、市内の少し離れた図書館へ出かけた。
家から近い図書館とは違い、
蔵書が自分好みであり、CDも置いてある。
昨日借りたものを挙げてみよう。

著作
カズオイシグロ「わたしたちが孤児だったころ」
ポールオースター「最後の物たちの国で」
フランツカフカ「夢・アフォリズム・詩」
地球の歩き方チェコポーランドスロバキア
カート・ヴォネガット「バゴンボの嗅ぎタバコ入れ」
田口ランディ「ハーモニーの幸せ」

CD
バッハ「ミサ曲ロ短調
ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・バンド」

実は、僕は小説を少しずつ書いている。
繰り返し消したり、始めたりしているため、
完成は程遠い。
執筆の合間に、読書をするのだが、
そのたびに影響を受け、自分の作品のつまらなさや矮小さに愕然となり、
また作り直す。

僕には、ある種の人たちと交感できるような感性があると思う。
自由に、それを書けたら、と思う。
だけどブログと違い、小説には筋が必要である。
時折、私小説的な、しかも観念的なものに逃げたくもなる。
だけど
僕の大好きなジョン・アーヴィングの小説を読むと、
あるいはボリスヴィアンやクンデラを思い出すと、
真摯に作られた構成の力強さに、惚れ惚れしてしまう。

次のページを繰るのももどかしいような。
そんな読書を、僕はしていたい。
していたいからこそ、書いてもみたい。

キャラクターも、むつかしい。
自分の頭に浮かぶ者は、ありきたりで広がりも個性もない。
我ながら馴染みがたい。主人公にはいささか自分の現実が投影されすぎる。
アーヴィングの作品の、熊の着ぐるみをつけた女性や、
ボリスヴィアンの作品の、胸に水連が生えて死にゆく少女や、
どうやったら、思いつくのだろうか。

そして僕は繰り返し本を読むのだ。
ヒントを探しながら。

昨日は、現代日本の流行作家のものを借りてやろうと思っていた。
僕の読書傾向が偏っている自覚はあったし、
現代に受け入れられている小説を知るべきだとも思ったのだ。

だけど結局借りた本は上に挙げたとおりである。
うまく馴染めなかったのだ。
記号としての殺人や、コンビニやネットという舞台や、
言葉が足りないというだけのすれ違いを描いた恋愛も。