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〈自分になる〉ために

世界の9年間と、新宿コマ劇場裏の6日間


歌舞伎町のミッドナイト・フットボール―世界の9年間と、新宿コマ劇場裏の6日間

小学館

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タイトルは、菊地成孔著「歌舞伎町のミッドナイト・フットボール」の副題だ。
この本の帯にはこんな言葉が書いてある。

2004年4月23日午前7時09分。
少なくとも今の僕にとって、地球は新宿歌舞伎町を中心に回っている。
あらゆる人々の欲望と、悲しみと、快楽と、絶望と快楽を、平然と乗せて。

 久しぶりに取り出したこの本の帯を見て、僕は少なからぬ影響をこの本から受けているということを感じた。たとえば今書いているブログもその発露の一つだろう。
 この本との最初の出会いは勘違いによるものだ。映画館でチューヤン主演の「歌舞伎町案内人」という映画の予告を見た。夜の街を歩くスーツ姿のチューヤンは僕の心をひきつけた。その映画を見たいと思いながらも見れずにいたときに、僕は本屋で菊地成孔のこの本を手に取ることになる。「歌舞伎町案内人」という映画には原作があることを僕は映画館で知ったからなんとなく探していたのだ。そして僕は「歌舞伎町案内人」と「歌舞伎町のミッドナイト・フットボール」を間違え、
さらに言えば、チューヤンふんする中国人を菊地成孔を勘違いした。ちなみにチューヤンの画像と菊地成孔の画像はブログの冒頭に掲げているとおり。
 まあしかし勘違いによる出会いは僕にとってはとてもありがたかった。その文章の持つ雰囲気に僕は酔ってしまった気がする。ちなみに菊地成孔氏はミュージシャンだから、決して文章が本職ではない。最近はずいぶん文章も書いているみたいだけれど。音楽も、素晴らしい。けれどその話はまた別の機会に。
 僕が好むのはこの人の言葉の使い方だ。洗練されたイキスギというかな、言葉はどれも大げさに美しいくせに、決して重たくない。目次を見るだけで楽しくなってしまう。たとえば


前書きとしての、本書に関する解説

ミスタードーナツシュトックハウゼン

タモリ<昼間からずっとすっ裸のガールフレンドは、起きたばかりの僕の隣で「いいとも」を見ながらねえ?タモリも死ぬときがくんのかなあ?来るよね?あたし、信じられない」と言った>

自分の人生を左右した1冊の本と、自分の人生を左右した1枚の札は、たいていは手元にはない―菊地成孔の選ぶ100冊の本

美しい、間違った言葉を求めて
或いは、間違った言葉に対する美しい言葉による議論の一例



こういった言葉はいまもなお僕を刺激する。
もっとかっこいい文章を書きたい
もっと美しい言葉を連ねたい
そうゆう思いは僕には常にある
うまくいえないもどかしさというか
そもそも言いたいことなんかないんじゃないか
という不安をよそに
菊地成孔
超然と存在してる
それはもう圧倒的な「知の巨人」としてね
文章はかなりの教養がないと完全に理解することは難しく
僕ではまだまだ、なのだ。
だいたい、知らない言葉が多すぎるしね・・
アンセルメとジャリの、ノエル・ブリュ」とか
「病的な『ダーク・メイガス』や瀕死の『アガパン』の好対照版盤として」とか

そして僕が何より感嘆するのが
ミスタードーナツシュトックハウゼン」をはじめとした
「事実に極めて近い嘘」による物語だ。
嘘を、それも世界を美しく見せるような嘘を
僕も書けたらと思う
そのためには知らなければならないことが多すぎる
僕は何を知っている?
周りの人々に比べて、僕がマニアックだとしても、
菊地成孔のような人の前では、全く歯が立たない
僕の中途半端な知識とテクニック

だけど僕は書き続けなければいけない
拙い言葉で(僕は本当に言葉を知らない)、
それでもできるだけ陳腐にならないように(ネットで発表する価値があるように)
・・なんて書くことが、かっこいいわけないけどね。

世界がずっとこんな夜だったら
ずいぶんうまくかけそうな気がするんだけどね
今は少し騒々しい
だけどもうすぐ太陽も疲れてくるだろうし
静かになるだろう
そして恋人と静かな場所を歩きたい
夜の下北沢や
9時前の森タワーのミュージアムショップや
春の天気のいい日の桜坂を
どこも甘い香りがして、空気は静かに冷たいから
そしてその空気はとても懐かしいものだから




・・と今恋人から「ハナ金だよー!うれぴー♪♪」というメールが来て笑った
ある意味ロマンティック(笑)