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TO BE FREE

〈自分になる〉ために

西荻夫婦

西荻夫婦

祥伝社

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ブログとして書くべきことが見つからなくなってずいぶん経つ。
目に見えて更新の少なくなった理由は、いくつもあるけれど
どれも核心をつかない。

たとえば親和欲求が満たされてしまったからとか
何を書いても一度過去に書いたことがあるような気がしてしまったりとか
単純に時間がないとか
夏だからとか

書くべきことがみつからないなら
購買リスト・レビューにしてしまってもいいかもしれない
人は自分が大切にしているものでも
たやすく忘れるものだ

引越しが近いから
先月僕の本を110冊は売ったけれど
実際その中の一冊として
内容を完全に思い出せるものはない
それは売った本はあくまで「手放して構わない」本だったからということもある

だけどまるごと忘れ去るのも悲しいものだ
だからできるだけ読んだ本や映画や音楽について
書いてみるのもいいのかもしれない
気楽だし

というわけで
第一回の作品は・・


やまだないと西荻夫婦」

漫画である。
僕は何気なく手に取ったこの「西荻夫婦」から
やまだないとの作品をほとんど購入した

西荻 そして 夫婦 である

この作品が僕にとっての「東京」と「結婚」と強く結びつく。

「東京」のイメージは僕にとっては二元化されていて
一つは六本木ヒルズで感じた「冷たく滑らかな石」のイメージ
もう中央線から感じる「晴れの日に干される洗濯物」のイメージ
これらの言葉はまさにイメージなので説明せよと言われても難しい

僕は中央線にも六本木にも関係ない場所にいるけれど
それほどにヒルズと西荻のイメージは強かった
どちらも「静かなイメージ」なのだ

この「西荻夫婦」という漫画が衝撃だったのは
その静かさにある。漫画的アクションもなく、
展開もあるようなないような・・
ただ日常なのだ。漫然と過ぎていく夫婦の日常。
僕はその切ないような懐かしいような絵や言葉に僕は胸焦がれた。
それはヌーヴェルヴァーグの映画に出会った時のような。

この漫画を読んで、僕は突然漫画家になりたくなったりもしたのだけれど
それはまだ実現の運びに至っていない。
至るのか(笑)
それはさておき、この漫画の中での日常を語る言葉の優しさや寂しさは、
きっと今書いているこのブログにも大きな影響を与えているだろう

たとえば

「ときおり・・
 深い不安がおそってくるとしたら・・
 それは一人になるさみしさ
 というよりも・・
 たとえば
 次に再認識するとしたら
 死という場面しかないのではという
 肉親のように
 お互いの他人度が
 うすれてしまう日々が来ること・・

 一人になると二人を感じる
 
 よかった、まだわたしたちは他人だ」



「いつのまにか・・
 わたしたちは街にとけこんでいる
 近所のおばあちゃん
 おすそわけの友人
 デパートの鍋の値段

 ときどきそれがうそくさく
 ときどき他人事のよう」


「言えるのは。
 彼しか許してくれないだろうということ。
 愛情は日常。
 わたしが、誰よりもわたしを選んで生きているということを
 彼にだけ許された気がして、その時以来もう何年もわたしは彼と一緒にいる
 この先も彼しか許してくれないだろうと思う。
 このうしろめたさ。
 無駄な週末

 未だ二人は手をつなぐ。腕を組む。
 彼のコートの感触はわたしの右手が覚えている。
 新しいコートの感触が
 予想できない。
 ひとりで歩くことなんて考えられない。」



こういった言葉が、写真と漫画の混じった画面に配置されている。
そして僕は恋愛に「許し」という概念を得た。
そして僕は今の恋人を選んだのだ。あるいは選ばれたのだ。
愛情は日常、それはあるいは残酷な言葉なのかもしれないなあ。
日常なんて言葉は、ともすると最高につまらない言葉かもしれない。

「ほんとに実のない一日。いつもいつも。いつもの週末
 こうして、一日は始まっても終わり、またしきり直し、また無駄遣い。
 こうして一週間は。こうして一年は。いつもいつも。
 わたしはいつもうしろめたい。」

繰り返していく日常とは、そうそうロマンティックでもなく、
ともすれば無関心とも近い。
僕は、片思いをしていた女の子が彼氏との結婚を決めたタイミングで、
西荻夫婦」を彼女に貸したことがある。
結果的に彼女の結婚はなくなった。
まあ・・漫画が理由というわけでもないんだろうけれど。
ただしきりに
「きっと結婚ってああなのよ・・ひどいわ。」
と言っていたことを思い出す。

「ひどいわ」と言われるほど
この漫画は特段恐ろしい出来事があるわけでも、
目を覆うような不幸があるわけでもない。
ただ、ただ、毎日は続いているのだ。
ゆっくりと。
そしてそれがこわい。

この漫画の主人公夫婦は、子供を産まない。
産めないのではなく産まないのだ。
うしろめたさを感じながらも、
「自分のため」に生きることを選択する。
僕はどうなるだろう。

僕と恋人は、とりあえず二人の時間を求めた。


そうゆう
ことを
考え出したら
僕はある映画を
思い出す
それは
クレヨンしんちゃん
の映画で
ああ、
またそれは別の機会に