TO BE FREE

〈自分になる〉ために

恋人がいなくなったら(フィクション)

鳥になってしまった恋人を想う。

振り返れば塩の柱になるロトの妻のように、
恋人は過去を想って鳥になった。

青春は顧みるときの微笑でなければならない。
微笑?
沈香の香りは、重々しく噎せ返るようだ。
横になって膝を抱える。
声ともならない声で唄う。

「緑の庭に月明かり
 朝露の日にあなたが笑う」

朝露に月明かりが映るような、そんな美しい矛盾。
思い出せば鳥になる。
思い出が美しければ鳥になる。
飛び立っていく恋人を、思い出にすることもできずに、
僕はここにいる。

「このやうな日をあとで 僕は
 思い出してはいけない
 しづかに別れるがいい
 忘れるがいい」

立原道造の「火山灰」を思い返す。
詩は絶望であり、切り取る力であり、
優しげな嘘だ。

人生は物語ではないという悲劇を想う。
物語のように、最終的な整合性ですらも用意されてはいないから。

「僕もだ。」

「何が?」

「僕も・・」

流された涙のことを、今はもう忘れた。
朝の光の中で、バスローブの君は、
よくわからない歌を唄った。
それを僕は、いつもゆるやかな睡魔をともに聴いた。

言葉なく見つめあい
一日の一番最初の口づけはいつも
君からだった。
僕は嬉しくて照れくさくてうつむいてしまう。
そして目をやると、じっと僕に向けられる
強くて優しい視線を感じる。

「・・何?」

「何もー」

「僕もね。」

「何?」

「僕も・・」

いつもそこでとまってしまう。
この先をあらわす言葉はないのかもしれない。
だけど繰り返し探してしまう僕は
たぶん滑稽だったろう。

僕が一番好きな曲は「亡き王女のためのパヴァーヌ」だ。
音楽が自然と頭を流れる。
僕は空を見て、鳥を探した。
青い鳥。灰色の空の中にあってさえ、鮮やかなる鳥を。
甘やかな声と香りと温もりは、探しても見つからないけど。

「あのね、鳥になった人がいるの」

「え?」

「私の友達はね、思い出の中で浮かんでいる気分に浸るのが好きだった。
 全ての現実をね、思い出にしてしまうの。」

「リサは一緒にいて楽しいの?」
 
「楽しいかは、うーん・・分からない。
 たとえば私と話していたって、いつでも彼女はどこか上の空なの。
 だけど、私は彼女といるのが好きだったよ。」

「それで、鳥になったっていうのは?」

「ある日ね、いつもより少しだけ上の空だった日があったの。
 そしてね、彼女は言ったのよ。『好きな人がいるの。』
 不思議だけれど、私は少しだけヤキモチみたいな気持ちになったわ。」

「過去ばかりを想う人が恋に堕ちるとどうなるんだろう?」

「うん。それがね。やっぱりあの子は普通とは違うの。
 昔の、それも小学生の頃を思い返していてね、
 その思い出にまぎれていたひとりの男の子に恋してしまったそうなの。」

「えー、凄いね、なんか・・それで、その男の子は見つかったの?」

「見つからないよ。だって、あの子が恋をしたのは小学校のころの男の子で、
 そんな男の子は現実にはいないの。
 あの男の子だった時代を持つ人はいてもね。」

「難しいな。それで、どうなった?」

「彼女は毎日想い続けたわ。というか、思い出を搾り取っていた。
 当時の男の子の服装、声、話したこと、香り、・・全部ね。」

「それは、どうなんだろう、幸せなのかな・・」

「幸せだったはずよ。私は少なくとも彼女の気持ちに触れて幸せだった。」

「純粋な感情は他者を巻き込むね。」

「そうね。そして、彼女は願ったの。思い出の中に生きることをね。
 体育大会や、放課後の掃除や、お昼休みのある場所へ。
 そして、鳥になったの。」

「リサの目の前で。」

「そう。少しずつ彼女の頬は赤くなっていったわ。
 目は少しだけ涙ぐんでいたよ。
 頬から顔へ赤みは増していって、
 気が付けば身体がグングン小さくなるの。
 小さくなって、顔なんて分からなくなっても、
 私は動けなかった。あたりに漂ってる幸せに私ものまれてたの。
 そして目の前には真っ赤な小鳥が一羽。
 少しだけ私の頭の周りを回ったかとおもうと、
 空に飛んでいったわ。