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TO BE FREE

〈自分になる〉ために

そして伝説へ・・なんてね

クリエイティヴ脚本術―神話学・心理学的アプローチによる物語創作のメソッド

フィルムアート社

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霧の降る夜だった。
今日もまた、一日が終わる。
今日は人の怒りに触れた一日だった。
決して人に好まれる仕事ではないから、
時々攻撃的な人に出会っては、
苦笑いを浮かべる。
哀れみと、人間存在そのものへの悲しみと、
そして僕自身の弱さと。

怒りは、それが正当な場合であっても
表現の仕方によっては愚かしい。
僕は、静かな怒りを持ちつづけていようと思う。
誰よりも重く、穏やかで、苦しい怒り。

年齢を重ねた人が怒ることを、
僕は悲しく感じてしまう。
過去を積み重ねて出来上がったその姿が
醜いと感じてしまったとき、
僕はまるで自分のことのように悲しくなる。

同情ではない。
僕は近しい人の幸せしか願えない。
ただ、明らかに不幸せな人には、
たとえ全くの他人だろうと悲しくなる。

僕はどうゆう大人になるのだろう。
自分のうちにある感情は、
消えてしまうのか。
もっと浅ましくなってしまうのか、
そして、ありがちな怒りを
醜く撒き散らすのか。

それもまた一つの可能性。

人々が皆幸せでいるためには、
どうすればいいのか。

幸せが祈りだとして、
祈る対象を求めることすらも忘れている僕等は
あてもなくただただ、
苦しんでいる。

もっと文章をうまく書きたい。
思いを表現したい、というよりは、
書きあがったものを見て救われたい。

僕はきっと木彫りの仏を創るように、
言葉を繋げる。
あてのない旅だ。

数学者の旅も
作家の旅も
違わない。

あてのない道を辿り続けること自体が
人生なんだと思う。
結果は、求めるものであって手に入れるものではないと、
いつ僕は気付いただろう。

ゴールは遠くにあってくれ。
ただし見えそうなところに。

僕に足りないのは理論だと思う。
生まれ持っての器用さで、
やりすごしてきた部分。
努力する才能がないなら、
もっと努力するしかない。
こうゆう円環は、数学的にはどうかな。

最近は、数学の本と、文章理論の本を読んでいる。
特に読んでいて面白いのは、
ジェームス・ボネットの「クリエイティブ脚本術」だ。
この本はあらゆる作品をゴールデンパラダイムというサイクルで捉える。
全ての作品は発展と衰退の繰り返しのどこかにフューチャーしたものだ。
心理学的に、あるいは神話の領域からヒントをくれる。

少しでも優れた文章を書きたい。
伝わるものは、きっと僕が受け取る分だけはあるだろう。
つまり、僕が面白いと思える文章を書くのが今の目標だ。

そのために技術がいるのだ。きっと。
アートは神がかりだが、
前提には技術がある。

だったらまずは技術を習得しようと思う。

技術の先にあるものを才能と言い切ってしまうことはできないけど、
僕にも僕にしかない部分があるはずだろう。

そしてそうやっていくうちに、
怒りも悲しみも文章にこめて、
穏やかな大人になりたい。
崇高な怒りを持った大人になりたい。