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TO BE FREE

〈自分になる〉ために

文系的数学論

心は孤独な数学者

新潮社

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昨日は群馬に就職した友達と昼食を一緒した。
この人とはよく恋愛の話をしていたように思う。
だけど昨日は、もちろん恋愛の話もしたけれど、
それよりも数学についての話をたくさんした。

というよりは聞いたのかな。
その話は分かりやすく面白かった。
前兆として、僕は最近理系の分野にも興味が出始めていて、
藤原正彦著「心は孤独な数学者」を読んでいたところだ。

ニュートン・ハミルトン・ラマヌジャンという数学者の功績よりは
人生に焦点を当てたその本は、文系の僕も面白く読むことができた。

ニュートン
ハミルトンの四元数とか
ラマヌジャンがハーディと共に発表した分割数の漸近公式とか
ロジャース・ラマヌジャン恒等式とか、
そうゆうことは、正直分からない。
けれど、その思考過程に影響したであろう環境というものは興味深かった。

ラマヌジャンは子供の頃から石版に計算式を書いては消して、
その一部をノートに書きとめた。
数学教育を受けることのできないインドで、独学で発見していった。
証明の必要性も手法も分からず、公式だけを書きとめたノートが彼の人生だった。
ラマヌジャン発見者のイギリスの数学者ハーディは、
彼が毎朝半ダースほど発見する公式に証明を与え、共著で発表した。
ハーディは数学的才能を自己採点した。20点だった。
20世紀の大数学者ヒルベルトを80点
そしてラマヌジャンを100点と評した。

ラマヌジャンを訪ねたハーディとの会話の記録が残っている。

ハーディ
「天気がひどいうえ、タクシーの番号も1729というつまらないものだった。」
ラマヌジャン
「いえ。とても面白い数字ですよ。
 三乗の和として2通りに書き表せる数字のうちも最小の数字です。
 1729=1の三乗+12の三乗、1729=9の三乗+10の三乗」



そして昨日友達に、フィボナッチ数列や、
アインシュタインやハミルトンの発見したことや、
様々教えてもらった。

そして彼と別れてから、書店で本を買った。
博士の愛した数式
「高校数学と仲直りブック」
不完全性定理

博士の愛した数式」から読むつもりだったが、
ふと開いた「不完全性定理」を読み始めたらとまらなくなった。
これはゲーデルが25歳で出版した「不完全性定理」を、
数学史の基本とともに、野崎昭弘氏が書いたものだ。


数学とは、僕の考えでは、極めて確定され、議論の余地もない、
そうゆう概念であった。
しかし、数学においても、不確定な領域はあるのだ。
いや、数値化され理想化されているがゆえに、
「不確定だということが証明される」可能性を持つという意味で、
哲学よりもある意味で哲学的とも言える。
この言い方も可笑しいが。

数学≒哲学>哲学
というのは矛盾しているかな。

一見正しい矛盾がある。

むかしむかし・・
アキレスと亀が競争しました。
アキレスは足が速かったので、ハンデをつけました。
亀はP1地点から。アキレスはそれより手前のP2地点からスタートしました。
アキレスのほうが足が速いので、距離は縮まります。
アキレスはまずあっという間にP1地点まで着きました。
しかし亀も同時にスタートしたのでアキレスよりほんの先のP3地点にいました。
アキレスは負けじと走り続けます。
そしてP3地点につきました。
しかし亀も歩みを止めてはいなかったので、P3地点より先のP4地点にいます。
はたしてアキレスは亀を追い越すことができますか?

背理法をあみだしたゼノンのパラドクスだ。
このパラドクスが矛盾していることから、
P1、P2、P3・・という無限に続くと思われる点は
大きさのない理想化された点に過ぎないと導かれる。

こうゆう論理はとても面白い。

そしてユークリッドの「原論」が生まれる。
これはまず前提を明らかにして一歩ずつ証明を進める、というものだ。

定義1 点とは大きさのない位置のことである。

定義2 線とは幅のない長さのことである。

こうした定義の後に、議論の前提となる公理が列挙される。

公理9 互いに重なり合うものは互いに等しい

定義や公理によって前提を明らかにしたところで、結果を導く(定理)

定理20 三角形の二辺の和は他の一辺より大きい。

定理について、あたりまえのことだとかつての日本の数学者は無視したそうだ。
ニュートンも、「つまらない本だ」と一度は無視していた。
しかし、このユークリッド原論」の概念が後に発表した大著「プリンキピア」に
かなりの大きな影響を与えている。


僕がしかし特記すべきことだと感じたことは、
ユークリッドが公理についても「仮定」としたことにある。
つまり、三角形の内角の和が180度だという自明の事柄についても
理想化された仮定として「真実である」とは言い切らなかったのだ。

そしてそこに一つの答えを出したのが
アインシュタインだ。
一般相対性理論において、
「我々の住んでいるこの宇宙空間においては、
 ユークリッドの諸公理は近似的にしか成立しない」としたのだ。

この辺で哲学に通じる部分が出てくる。
アリストテレスの「我思うゆえに我あり」すらも、
証明不可なのだ。
全ては仮定でしかない。
自分の存在ですらも、仮定だ。

そこと仏教的無常観や禅における無我という概念について通じるものがあるような
気がするが、それについてはまだ整理しきれていない。

まだ「不完全性定理」完全に読みきってはいない。