TO BE FREE

〈自分になる〉ために

着物デートがしたいなり


そうそう、僕は着物デートに憧れながらもまだ実現の運びとはなっていない。
着物熱は、昨今のアンティーク着物ブーム
(ただし女子においてのムーブメント)
(定年後の男性におけるムーブメントは今回の話とは全く関係ない。)
へ感化さてから高まる一方である。
こんな綺麗で艶やかな衣服をまとって町を歩けたら、、
しかもそれがデートだったら最高だ。

一度、着物デートにいけそうになったのがIさんだった。
Iは、母親がお茶の先生で、自分もお琴の稽古などで着物を着ているということで、
まさに適任者であった。最初仲良くなったきっかけも着物の話題からだった。
豆千代の話やどんな帯留め持っているかとか、そんな話から。
しかしながら、デート実現の前に、関係が中途半端に自然消滅してしまった。

デートコースは色々考えているのになあ。九段→神保町とか浅草→お台場とか
夜の神楽坂とか銀座や丸の内とか。
普通に花火大会や夏祭りもいいなあ。

アヤさんは、花火大会に関しては家族と約束があり(この断られ方も微妙ではある)
行けないけれど、夏祭りは中途半端にOKをもらった。
どこであるのか夏祭り。探しとこう。
浴衣デートになるんかな。アヤさんの母親は日舞の先生で、その影響か自分も着付けは
できるし、自分で着物を作ったりもできるようだ。

しかしデートごとにアヤさんの体調を気にしなければならない。
昨日「私ドラッグ常用者なの・・」と、突然言い出した。
アヤさんは昔心臓に穴が開いていて、その薬を常用しているそうだ。
「ドラッグて!言い方おかしいっすよ!」と、言ったら
泣くほど笑い出した。

小学校時代の親友が、心臓に穴が開いてしまって手術を受けた。
生存確率30%弱の手術。僕はとても怖かった。
目の前の大切な人がいなくなってしまうという不思議。
結局その手術は成功した。アヤさんもそうゆう生死の狭間を潜り抜けてきたのだ。

きっとこれはまだ恋愛ではない。厳密には、僕はかつての様な恋愛はもうできない。
幸福論は数の論理に移行した。次々と現れる恋愛の欠片で満たす。
僕は、間違っているのでしょうか。この繰り返しで、僕はある部分を満たしながらも、
自分自身を消耗させています。そしてそれを人は絶望と呼ぶのでしょう。