TO BE FREE

〈自分になる〉ために

魅力とはつまりは多様さであろう

最近、東京に出てきてできた友人たちの人となりが
ようやく分かってきた。
そこにははっきりとした人としてのランクがある。
これは僕の基準に置いて。
世界的な観点で見れば、人は同じだけの価値を持つ。
でもここは、僕の世界。

隣人同期のタイニー君(MとかIとかで呼ぶのに限界が来たので勝手にハンドルネーム設定)は、
最近は愚痴しか言わない。
仕事の愚痴、好きだった女への愚痴、
解決策のない思いを、語っても、僕は仕方ないと思う。
特に仕事においては、できるようになるか、できない自分を受け入れるしかないのだ。
「ミスしてしまって云々」
「でも上司の指示が云々」
「何で俺はダメなのか云々」

その言葉に、話し聞いている誰かはもとより、自分自身も楽しくないだろうに。


僕はレベルの高い人の中にいたい。
そのほうがずっとずっと羽を伸ばせる。
僕は大学時代アルバイトの人間関係と、学校での人間関係がまったく違っていた。
どこでどうなったか学校では頭の良い人という風聞が立てられ、
どこかで真面目さを演じている部分があった。
挙句の果てには「yoshkob君に憧れていたから」と言って僕と同じ職場を目指す方々(男)まで・・
いる。いるんだよー!何だそれ!

アルバイトは、僕が落ちた大学の生徒ばかりだったこともあるが、
何より、人間としてのレベルが高かった。
建設的思考、回転速度においては彼らには叶わない。
ゆえにいくらでも好きなことを僕は話せる。
彼らは今もそれぞれにすばらしいキャリアを積んでいて、
それは誇らしいものだ。楽しみである。



・・話がそれた。
で、タイニー君と同じく同期のナーグ君は最近特に親しくなった人なのだが。
一緒にいて楽しい。
なぜならば
絶対に愚痴を言わない
仕事は仕事として責任をもつが
楽しい私生活こそが最重要課題だという共通認識。
そのために面白い人(そこに恋愛じみたものがあればなおよし)が必要という認識。

ナーグにとって恋愛は、出会いは確率論である。
x/y
wとyにははっきりとした関連があり、
たくさんの出会い(分母y)を重ねる中で
特別な誰か(分子x)が増えるという、考えればもっともすぎるが、
なかなか行動まで昇華できない思想を理念としている。

ナーグには彼女がいる。
それは僕の開いて合コンで知り合った年上の女性だ。
その合コンは4対4で、僕とタイニーを含む男3人は、
一番美人のIを狙った。
後日僕は他の二人を尻目にいい線まで行きかけて失速した・・
だがナーグは一番年上の英会話講師の女性を選んだ。
「面白そうだったから」
その後ナーグと彼女は関係を深め付き合い始めた。
彼女の関係で多くの外国人と友達になり、
米軍基地の進入不可の区域で遊んだりしたそうな。


その子を選んだ基準。
「一番面白そうだから」

すげーシンプル、かつ適正。
その基準で、彼の友達には世界的なネイルアーティストや、
芸能人なんかと出会い、麻布の家賃月60万円のマンションに住む方々と知り合いなのだ。

彼女ができても相変わらず新たな出会いを探しているナーグ。
「いっぱいの人と話したほうが楽しいじゃん」
「それが分かる人じゃなきゃ付き合わない」


よく知らない人からすれば、ナーグは遊び人だし、女の敵なのかもしれない。
だがナーグが遊んでいる女性の何人かは僕の知り合いでもあるのだが、
彼女たちは一様にナーグを称える。
楽しませているからだ。それぞれを。
彼女たちにとって見てもナーグは「面白い」のだろう。
なぜだかテコンドーをマスターしていたり、
多くの出会いを求めつつ、彼女のことは呆れる位愛していたり。

僕はその領域に行けないし目指さないけれど、その考え方は取り入れる価値がある。


この世の迷信として最も信じているのは
「富める者は更に富み、貧しいものはさらに貧しく生きていく」
同じ意味で、
孤独なものは更に孤独になるのだ。

僕はひとりは大好きだけど孤独は大嫌い。
頑張ります。

入院していた環が今週末退院する。