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TO BE FREE

〈自分になる〉ために

おっと、あやうくダークサイドに陥るところだったぜ

急速な鬱化から、何とか抜け出した。
圧倒的な孤独はあれども、大丈夫。
昨日ここに書こうとしたことを、僕はもう書かない。

そろそろ、方向の転換を計ろうと思う。
自分というものを、人格を、意図的に作っていこうかと思う。
僕はいささか不安定である。
それは確固たる自分がないからだ。
何がしたいのか、誰といたいのかもはっきりしない。
それではいけない。

僕は、人に嫌われる人間ではないが、
まったく同じ意味で好かれるに値しない男だと思っている。
人と合わせるということをしすぎたのだ。
なんとかそれでも楽だから放置していたのだが、
今頃になって訪れた自我の目覚めにより、
どうも折り合いが悪いのである。自分と自分が。

幸い。好きになるものの傾向は絞れてきた。
世間にあわせて、無理な知識をつけようとすることはやめる。
その間に、僕は僕のやりたいことをする。

美意識
僕はそれを、何よりも大切にしていきたい。

僕は、「どうあるか」と「どう見せるか」と言うことを意識していきたい。
無理して経済誌を読んだりすまい。
その間に中原淳一を読もう。
テレビドラマを見る時間を割いてゴダールを見よう。
寂しさに、耐えられず無理やり女友達を呼び出したりはするまい。
実際には、建設的な友人はそれなりに限られるのだ。

あさってはMと遊ぶ。
Mは、女友達としては最高だ。

かつて僕が恋していた女性だということ。
そして、それは終わってしまったということ。
それでもやはり一緒にいると楽しいということ。
おそらく、それなりに同じような世界を見てきたのだと思えること。

「男友達に限らず、おなじ時代を生きる、
 というのは私にとって、友達の持つ最大の資質だ」
と、江國香織さんは「泣く大人」のなかで書いている。
同じ世界の定義は、単純に同時代を生きているということではなくて、
同じように世界を認識しているということだ。

その点において、Mは最適なのだ。
表面上の価値観は大きく違うけれどね。
単純に好きな女との共通点を感じていたいだけなのかもしれないけれど、
でも、それだけならば、会わないよ。

文脈が荒いなあ。。
最近ちょっと思います。
「僕のブログは、、面白いのか?」てね。
読んでくれる人がいるからには、もっと上手に書けたらなあっていつも思います。
もっと短文で空間を切り裂くような文章を、
いつか書けたらいいなあ。
いや、書くさ。