読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

TO BE FREE

〈自分になる〉ために

青色発光ダイオードは死を想う。

昨日、社内電子掲示板で、25歳の女性が亡くなったことを知った。
その女性は、僕と同期だった。
規模の大きい会社なので、その名前に記憶はなかったが、
同じ研修をしてきたのだ、顔は見たことがあるはず。
同じような日常を過ごしてきた人が死んだ。

自殺だった。

僕の会社では、ここ5年ほど、一年目の社員が自殺する。
職場を離れても研修中に自殺者は出る。
もう、会社の反応は、いつものことだよといった風。
淡々と仕事が進められた。

そう、もう、誰も自分のことしか考えない。
その理由を考えたりもしない。
同じ日に、社内報が来たのだが、
お偉いさんのエッセイを読んで、何だか憂鬱になった。
「最近の若者は青色発光ダイオードのようだ。
 光るものがあっても、熱を発しない。(燃えない)
 だから、それを踏まえた上で再教育をしなくてはならない。」

中年による、若者の無気力への絶望。
若者による、中年の愚鈍さへの絶望。
お互いへの無理解さへの絶望。

もう、限界なのだと思う。
この組織は。
大きくなりすぎた。
人間は多いほど駄目になる。
人は、人の中にいるから孤独なのだ。

もう、何だか嫌になる。
人が死んだけれど、明日から社員旅行だ。
何もなかったように日常は流れる。
僕も何もなかったように、振舞う。

だけれど、もし僕の大切な人たちが自殺してしまったら。
僕は怒るんだろうか、悲しむのだろうか。
それとも、大人たちのように、麻痺してしまう日が来るのだろうか。

それ以前に、僕自身が自殺してしまうのかもしれない。
今は思う。
死ぬくらいなら会社を辞めればいいって。
でもきっと、追い詰められたら、
辞めることも億劫になって、幸せになることも怖くて、
ふっと、飛び込んでしまうんだろう。

宿舎の10階から、緑生い茂る地面へ向かって、
少しだけ微笑みながら。

おめでとう。
死んだら、もう終わりだ。後悔も、孤独もない。
究極の安定。

でもね、確かに苦しむんだ。
残された僕らは。
だから僕は、まだ死なない。
と、思いたい。