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TO BE FREE

〈自分になる〉ために

誰が袖


今日はまた天気のいいことで。
それでもまだ気温は低いか、やはり。
昨日は、図書館に行ったものの、思ったより小さく。
本館が別にあるということを知った。今日行くつもりだ。
図書館を出て西荻に行ったものの目的の豆千代の場所を見つけられず。
飯田橋に行く予定は取りやめて、上野の美術館に行ったが、人が多すぎて入る気がおきず。
そんな感じでうまくいかなかったが、
鬱にならなかったのは天気と早起きのおかげだったろうか。
楽しいこともあったしね。夜の合コンは楽しかった。
好みの子がいたとかではないけれど。
僕の仲の良い男友達が二人、初めて顔を合わせてつながったのがうれしかった。
女の子の仕事の悩みを聞いて、僕だけではない、と当たり前のことを思ってみたり。

そして、昼歩きながら最近友達になった女の子とメールしていたのだが、
とても楽しかった。話題は着物だったのだが。
僕は着物が好きだ。着たことはないので憧れているという意味で。
同じ意味で、着物を着ている女性はいいなと思ったりもする。
その女の子は、祖母の娘時代の写真を見て着物にあこがれ、
自分自身着物を持っていて、琴を習っているそうだ。
ただ着ていく場所がないといっていた。
たしかに、着物人口は増えているようだが、来ていける感じのところは少ない。
悲しいことだ。トンボ玉の可愛い帯止めや、紅花紬や江戸小紋や・・
美しい様式美を持ちながらそれを捨ててしまった理由はなんだったのだろう。
着物は、その作りから、右の手と左の足を同時に出す、という現代の歩行スタイルと合わない。
体をねじる動きは着物を乱してしまう。
だから、昔の日本人は腕をまったく振らないか、
右腕と右足を同時に出すといったスタイルだったそうだ。
それに無理が生じたのが近代化による戦争が始まったせいだという。
走れなかったのだ、昔の日本人は。
確かに手足を交互に振らなくては走れまい。
そこで、西洋式の歩行を取り入れ、服装を取り入れ、
着物は着ようにも着れないものとなってしまったのである。
悲しい事実だが、そしてもはや手足を同時に出すことはできないが、
それでも着物を着たいと思う。

そうそう、今度その26の女の子と神楽坂を歩きたいと思う。
あんみつ屋や和紙のお店やカフェや、着物の似合う場所をいくつか知っている。
そうゆうものに、価値観を見出せる人を恋人にしたい。