TO BE FREE

〈自分になる〉ために

幸運は偶然ではなく。


ちょっと脇を見てみた。
「自分のまわりにいい事がいっぱい起こる本」
という以前買った本がおいてある。
思い出せば中学のころにもマーフィーの何か成功にまつわる本を買った。
昔からいまいち元気でもなく幸福でもない僕はこうゆう本を買ってしまう。
読み込みもせず、大体目次だけ読んで満足してしまう。
大体、言っていることは同じ。
「人生は意思によって変わるもの、幸福を願えば、想像すればかなう」と。
そうなのかもしれない。
幸福なときは、イメージどおりに物事が運んでいるように感じるものだ。
しかし、そううまくはいかない。
願う幸福が、具体的ではないのだ。
幸福を想像するときに、同じくらいの不幸も想像してしまう。
だから、たまに自分を追い込む。考えなど及ばない状態まで。
東京に出るときは、あらかじめ東京に出ねばいけない状況を作った。
選択肢を、削ったのだ。地元に残る道を全て削った。
流れに身を任せるのは得意なので、そのままここまで流れてきた。
だが、それは良かったのだと思う。東京は好きだ。
幸福とはいえないが、幸運はある。楽しい事だってなくはない。
人生の長さを思い、あらゆる幸福のはかなさに愕然としたりするが、
それでも、生きていく。
一回笑えるなら何度泣いてもいいなんて思えないけどね。
愛が欲しいと思ったりするが、うん。
多くの人が愛してくれているのかもしれないとも思う。
就職してから、毎週末多くの人と話している。
僕のたわいのない話を聞いてくれる人がいる。
それは、実はとても幸せなことではないのか、と思ったりした。
願わくば全員を抱きしめたい、が無理かね・・
誰かに、「それでもいいよ」ってそれだけ言われたくって生きてきたようなものだ。
まだ、言われないけどいつかはそんな人も現われないかなと思う。
少なくとも、僕の今もっている希望の中では最も具体的で、重いものだ。
くそみてえな世の中だ。前向こうが、上向こうが汚いものばかりだ。
それでも、目を凝らせば何かあるような気がするんだよ。
見えかけているんだ。それが、家庭なのか仕事なのか。
あるいは想像もつかないことなのか。
お金ではないことは、この職についてよく分かった。
まだ、見てみないふり、見えたら嫌になるから、見ないで、そっと近づいて、つかもうと思う。