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TO BE FREE

〈自分になる〉ために

幸福は捕まえられないことに価値がある

日記、 生き方

「幸福とは幸福をさがすことである」

 

僕はジュール・ルナアルのこの言葉を時々思い出します。寺山修司著作で、この言葉がときどき引用されます。

 

人は幸福というものを求めてあれこれ迷いながら、動き続けているわけですが、確固たる幸福なんてものはないのではないでしょうか。

 

少なくとも信じられるのは、うすらぼんやりした「幸福らしきもの」を信じて追いかけている、その瞬間には幸せがあるということです。

 

そんなことを考えていると、「動き=幸福」であるのなら、「停滞=不幸せ」という等式が頭に浮かんだりします。この等式はいささか乱暴ながら、今の僕にとってはリアルだったりします。

 

日本人の幸福度が低いという話を聞きますが、それは裏返すと「社会が成熟して安定しているから」という理屈が成り立ちます。

 

僕は公務員です。
そして間もなく、その職を辞めようとしています。
公務員になった理由は、いろいろな流れによるものですが、理由の一つに安定があったことは間違いありません。

 

公務員を辞めることについては、賛成する人もいれば、心配してくださる人もいます。そして聞かれるのはいつも、「せっかく手に入れた安定をなぜ手放すのか」というものです。

 

僕は公務員の安定というものを、十年以上享受してきました。
安定した給料が将来にわたり保証されています。
何より大きいのは社会的な信用度で、結婚や、子育て、自宅の取得をすべて二十代のうちにできたのも、この信用度があったからこそだと思います。
それは本当にありがたいことでした。

 

そのありがたさゆえに、こうしたことを言うのに、ずっと躊躇してきました。

だけど正直に言うと、安定って、つまらないのです。とても。

 

将来やる仕事、与えられるポスト、望みうる生活が決まってしまっているということを、恵まれているという人もいますが、僕はそう思いませんでした。これはおそらく性格の問題だと思います。

 

おかげで家族と出会うことができましたし、仕事の基盤も作ってくれたので、公務員としての十数年を否定することはありませんが、もういいかな、と。

 

僕はときおり、人生を大きく変えようとすることがあります。
自宅から通える大学に受かったのに、あえて遠くの大学を選んで一人暮らしを始めたり、公務員試験に合格して、地元の福岡採用も選べたのに東京採用を志望したり、そうした選択は勢いによるものですが、結果として人生を豊かにしてくれました。

 

さてここから、またしても大きな変化が待っています。それはかつてない変化をもたらすことでしょう。


ヒリヒリするような不安もありますが、楽しみでもあります。

 

最後に太宰治の言葉を引用します。晩年という作品の中から。

 

「安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは生のよろこびを書きつづる。」

 

さて、皆さんは、この言葉をどう解釈しますか?
僕は2通りの解釈ができると思います。