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TO BE FREE

〈自分になる〉ために

「やりがいのある仕事」という幻想~働くことについて考えてみる~

お金の話 書くこと 本の紹介 生き方

僕の仕事に対する第一原理というのは、これまでに幾度も書いているが、つまり、「人は働くために生きているのではない」ということだ。

 

最近キャリアチェンジ向けて動いていて、気持ちも高まっているわけですが、ここらであえてクールダウンさせようと思います。

 

というのも、僕は性格上、何事においても「中庸」が望ましいと思っていて、バランスを保ちながら進む方が、確信をもって歩めるからです。

 

そういえば、職場に入る時の面接で、「座右の銘とか、好きな言葉ってありますか?」と聞かれた時に、とっさに「心は熱く、頭は冷静に」と答えた記憶があります。この言葉、元ネタは何だったんだろうか・・でも、僕の性格を表すフレーズだと思います。

 

ということで今回は、作家の森博嗣さんによる「『やりがいのある仕事』という幻想」を取り上げます。森博嗣さんの小説は何冊か読んでいますが、エッセイも、その感情のこもらない冷静な筆致で、知的な刺激に満ちています。橘玲さんと似ている気がします。

「やりがいのある仕事」という幻想

「やりがいのある仕事」という幻想

 

 

仕事というのは、抽象的に表現すると、「したいという気持ちはそれほどないけれど、それをしないと困ったことになるからするもの」ということになる。

 

仕事の定義って人それぞれかもしれませんが、僕は森さんの言う定義に納得しました。

「しないと困ったことになるからする 」

仕事をしないことで困るのは、サービスを受ける他者かもしれませんし、報酬をもらえなくなる自分かもしれません。

 

この社会で生きていくためには、呼吸をするように、トイレにいくように、ものを食べるように、やはり「働くしかない」ということ。もう少し別の表現で言うと、生きていくには、「働くことが一番簡単な道」なのである。

 

 少し自分を抑えて、他人に従って、面倒なこと、疲れること、意味のわからないことを、「しかたがないな」と思ってやると、それなりに金がもらえる。そういう機会があることは、非常にありがたいことだと思う。

 

一言でいえば、「楽しくてしかたがない、なんて仕事はない」である。そんな仕事があると主張する人には、「では、給料はいらない?」ときいてみよう。

 

生きていくために、仕事がある。逆に言えば、生きていくためのお金をもらえる仕事であれば、それだけでも価値があるということです。こうした考え方を持っていれば、就職活動の失敗による自殺はなくなるんじゃないでしょうか。

 

それに、過労死にしても、「生きるためにやる仕事」を続けたばかりに死ななければならないということに、大きな矛盾があることに気が付くと思います。

僕は、どんな仕事であれ、命に勝る価値のある仕事はないと思う人間です。

 

とはいえ、仕事に、単に生活の糧以上の意味づけをしたくなるのも人情。

「自分でなくてはできない仕事」

というものがあるのなら、追求したいという気持ちになります。

でも、そうした思考には落とし穴があるようです。

 

きっと、「自分ができる」仕事というものを、多くの若者がもの凄く狭い範囲でしか見ていないだろう。それに加えて、「自分が好きになれそうな」仕事とか、「みんなが憧れそうな」仕事とか、「やりがいが見つけられそうな」仕事とか、気の遠くなるような遠い幻を追っているように見える。足許を見ず、望遠鏡を覗いて遠くばかり見ているから、オアシスだと思って喜んで行き着いても、その場に立つと周囲と同じ砂漠だったりするのである。

そうなんですよね。僕も大学新卒時には、おそらくとても人気の高い職業を選びました。そこに採用されたときは、自分としても嬉しかったですし、周囲に羨ましがられもしました。だけど、実際に仕事が始まる時まで、「自分の仕事」として考えることができませんでした。

 

人それぞれに生き方が違う。自分の道というものがあるはずだ。道というからには、その先に目的地がある。目標のようなものだ。まずは、それをよく考えて、自分にとっての目標を持つことだ。 「成功したい」と考えるまえに、「自分にとってどうなることが成功なのか」を見極める方が重要である。

 

時間というものは本当に限られているから、自分の時間を大切にする姿勢はいつも持っていたい。何故、毎日何時間も電車に乗るのか。どうして、こんなに家族サービスに時間を取られるのか、などなど、当たり前だと思っていることを考え直すのも一つの方法かと。

 

自分にとっての成功とは、極めてオリジナルなものです。

お金があれば幸せかと言われれば、そう言い切れないでしょうし、

せめて身の安全は欲しいとか、恋人とデートする時間は必要とか、本当に限りない「成功」のバリエーションがある。

さらに、限られた時間を、自分の価値観に合わせていくには、どうすればよいのか。

まずはそこから考えるべきでした。

 

それにしても、「やりがいだけで構成された仕事」がないにしても、少しでも「やりがい」を感じるには、どうすればいいんでしょうか。

そもそも「やりがい」とか「仕事の楽しさ」って何なんでしょうね。

 

本当に楽しいものは、人に話す必要なんてないのだ。人から「いいねぇ」と言ってもらう必要がないからだ。楽しさが、自分でよくわかるし、ちょっと思い浮かべるだけで、もう顔が笑ってしまうほど幸せなのだ。これが「楽しさ」というもの、「やりがい」というものだろう。もう、夢中になっていて、いつもそのことを考えている。なにもかもが、そのためにあるとさえ思えてくる。それくらい「はまっている」もののことだ。

 

なるほど~、ちょっと唸ってしまいました。

人に話さなくても、自分だけでも充実感を得ることができる、そんな状態になれば無敵ですね。「仕事」については、これから仕事を変えた後も、僕はずっと考え続けるのだと思います。

苦労をするたびに、逆に喜びを感じるたびに、僕は「仕事」を理解しそうになって、それからやっぱり分からなくなっての繰り返し。

それでも、その繰り返しの中で、僕は「生きている」ということを、強く感じることができるんだと思います。

 

いっぱい仕事しよう。

 

それでは最後に、森先生流のエールを以下に引用して、締めくくります。

 

自分の時間のうちある割合は、いつも勉強しよう。本を読むことが最も一般的な勉強だし、またそれ以外にも、新しいものに興味を向けて、なにか自分にとって役に立つものはないか、と探すこと。現在の仕事と無関係であっても良い。今すぐに役に立たなくても良い。なんとなく、今まで知らなかったこと、知っていても時間がなくて我慢していたこと、そういうことを少しずつ自分の中に取り入れる。これが「投資」である。

 

少なくとも、自分の人生は何なのか、と考えられるだけでも優位だし、まだまだ望みはあると思う。  

大事なことは、今の自分の状況は、全部自分が仕込んだ結果だということである。

 

自分の生き方に関する問題は、どこかに解決策が書かれているはずがない。検索しても見つかるはずがない。どんなに同じような道に見えても、先輩の言葉が全面的に通用するわけでもない。自分で生きながら、見つけるしかないのである。