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TO BE FREE

〈自分になる〉ために

今のところ、これ以上幸せな映画とは出会えてない

「残る人生で見ることのできる映画を1つだけ選べ」と言われたら、

迷わず選ぶ映画があります。

 

それがこちら。

ウディ・アレン主演、監督の「アニー・ホール

 

ウディ・アレン作品はもう何から何まで大好きです。

音楽や映像が素敵なのはもちろんなんですが、シナリオが他では決して味わえない感じなんですよね。あっと驚くようなストーリーではないんですが、ウディ作品を見終えると、何とも言えない幸福感と、泣きたくなるような感覚が同時に起きます。

 

「人生はいろいろで難しいけど、愛しいものだ」と思えるんです。

 

「スリーパー」、「バナナ」、「ラジオデイズ」、「ハンナとその姉妹」などなど、昔から素晴らしい作品をたくさん生み出しています。今でも「ミッドナイト・イン・パリ」などの作品でヒットを飛ばしています。

 

そんなウディ作品の中でもアニー・ホールは特別です。

ストーリーは、「男女が出会って恋をして別れる」という一言で言えるような単純なものですが、登場人物の会話や表情、ニューヨークの景色なんかが混ざり合って、感情を揺さぶってきます。

 

ヒロイン役のダイアン・キートンも、絶世の美女とかではないんですけど、不思議な魅力があり、「あんな風に笑ってくれたら、好きになっちゃうな」と思います。

 

僕が初めて観たウディ作品はアニー・ホールだったんです。

当時大学生だった僕は、この作品を観て、

「大人になるのって、いいものかも」と思ったんですね。

 

特に、主人公とヒロインが別れた後に再開するシーンが印象的でした。

 

倦怠期が来て、

「アルビー、正直に現実と向き合いましょう。私たちはうまくいかないと思う」

「そうだね。恋愛はサメと同じだ。常に前に進んでないと死んでしまう」

なんて言って、無表情のまま別れる二人。

 

そんな二人が再開して、街のカフェでおしゃべりするんです。

以前の恋人だったときのように打ち解けて。

 

ただ、それで元サヤに収まるわけじゃないんです。

おしゃべりが終わったら、あっさりとお別れする。

たぶん、もう二度とあの二人は会わないんだろうなと思うのですが、それがなんともいい感じだったんですよ。

ある意味でバッドエンドですが、なんとも言えない余韻がありました。

 

うまく行こうが行くまいが、人生は進む。

進んだ後には、それなりに美しい余韻が残る。

そんなことを、この映画は思わせてくれます。

 

 あ、こちらの映画もオススメです。

 

 

 

 

 

天才的な仕事は「規則正しい習慣」が作る

いやー、また面白い本を手に入れてしまいました。

メイソン・カリー著「天才たちの日課」 です。

天才たちの日課  クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々

天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々

 

 

まずは、本の紹介文を引用します。

 古今東西の小説家や作曲家など、161人の天才と呼ばれた人たちが、偉人たちも、いや偉人たちこそ、最高の仕事をするために、毎日どう時間をやりくりし、どう過ごせば創造性や生産性を高められるかを悩んでいました。彼らはどう解決していたのでしょうか。そのヒミツは日常のごく平凡な小さな積み重ねにあったのです!

 

 本書では、古今東西の小説家、詩人、芸術家、哲学者、研究者、作曲家、映画監督など161人の天才たちの、これまで見過ごされてきた「仕事の周辺」に注目。起床時間、就寝時間といった毎日のスケジュール、部屋での様子や生活信条、仕事の際のクセやこだわり、嗜好品をまとめることで見えてきた、知られざる素顔や意外な事実は、驚きとともに、創造的な活動を続けるための秘訣に値する手がかりが満載でした。

 

という内容の本です。この本では、何をすれば天才的な仕事ができるか?という分析をするものではありません。ただひたすらに161人の日常の積み重ねを淡々と記述しています。それがとてもおもしろいんです。

 

副題の「クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々」とあるように、いわゆる天才と呼ばれる人々でも、日常生活は意外なまでに普通。そして規則正しい。

僕の場合は書くことを仕事にしたいので、どうしても作家の日常が気になりました。

今日は作家を中心に、いくつか紹介します。

 

まずは詩人のオーデンから。

オーデンは「その日のうちにやりたいこと、やらねばならないことを決め、それを毎日必ず決まった時間にやる。そうすれば欲望に煩わされることはない」と言っています。

午前六時過ぎに起き、コーヒーをいれると早速仕事を始める。そして午前7時から11時半までの、頭が最も冴えている時間帯に集中して仕事をし、昼食後に仕事を再開して、夕方まで続けるという日常を続けていたとのこと。

 

夜型生活の人もいて、アメリカの作家トーマス・ウルフの場合はこんな感じ。

ウルフはたいてい夜十二時ごろに仕事を始め、「大量の紅茶やコーヒーを飲んだ」とある伝記作家は書いている。自分の背丈(身長が二メートル近かった)に合った椅子と机がどうしても見つからなかったので、いつも立って冷蔵庫を机がわりにして書いていた。そのまま夜明けまで書きつづけるが、途中で何度か窓辺でタバコを吸ったり、アパートのなかを歩きまわったりする。夜明けに一杯飲んでから眠り、朝の十一時ごろに起きる。

 

すごい。立って書くという発想はなかったです。

夜は眠くなってしまうので、どうしても文章を書けなくなるんですが、立って書くって一度やってみようかな。

 

次はパトリシア・ハイスミスの場合。

リラックスして仕事をしやすい精神状態にもっていくためにハイスミスがいちばん気に入っていた方法は、ベッドの上にすわり、タバコと灰皿、マッチ、コーヒーの入ったマグカップ、ドーナッツと砂糖を盛った皿などをまわりに置いておくことだった。規律や自制といったものをいっさい退け、書くという行為をできるかぎり楽しいものにしなければならなかった。まるで胎児のような姿勢で書くことによって、彼女の言葉によれば〝自分の子宮〟を作りあげようとしていたのだ。

 

書くという行為をできるかぎり楽しいものにするのは、本当に大事だと思います。

先日、以下の記事に書いたとおり、執筆環境を整えたのですが、これだけでも全然違ったんですよ。まだまだ”自分の子宮”というレベルではないですが、執筆環境はもっとこだわっていきたいです。

 

yoshkob.hatenablog.com

 

次は作家ではなく作曲家から。

ベートーヴェンです。

僕は肖像画のイメージから、ベートーヴェンさんを気難しい人だと思っているのですが、日常生活もイメージどおりでした。

ベートーヴェンは夜明けに起きて、ほとんどすぐに仕事を始めた。朝食はコーヒーで、細心の注意を払っていれた──一杯につき、豆六十粒。正確を期すために一粒ずつ数えることもよくあった。

 

豆六十粒(笑)

細かすぎて笑ってしまいますが、これも大事な儀式だったんでしょうね。

もし適当にコーヒーを淹れてしまったら、

「あれ、63粒だったかもしれない…」って気になり始めて仕事にならないんでしょう。きっと。

 

天才と呼ばれる人って、生活が破綻しているような印象を持たれがちですが、実際は違うようです。ただ、決めた習慣にこだわって継続するところに、ある種のクレイジーさを感じます。

 

さて、161人全部紹介しきれないので、最後に、フローベールの章から引用します。

 

ときどき、疲労のあまり、腕が抜けてしまうのではないか、脳が溶けてしまうのではないか、と思うことがある。私は禁欲的な生活を送り、薄っぺらな快楽を退けている。これを維持していけるのは、一種の興奮状態が続いているからだ。そのせいで、ときには自分の無能さに泣けてくることもあるが、興奮が冷めることはない。私は自分の仕事を、狂おしく、倒錯的に愛している。

 

仕事は苦しくて辛いものです。クリエイティブな仕事であっても。

仕事への愛があればこそ続けられる。

まずは仕事を愛したいですね。

 

そういえば書店で本を買わなくなった、その理由

そういえば、最近あまり書店で本を買っていないです。


読書は相変わらず毎日していますが、
気がつけば、日々読む本のほとんどをAmazonから買っていることに気がつきました。

 

僕は本は書店で買いたいと、頭の中では思っています。
Amazonで買っちゃうと、支払ったお金の一部はAmazonに入るわけですから、それよりは、書店や出版社に多くを払いたいというのが正直なところです。出版社がなくなれば元も子もないわけですし。

 

ただ、そうは分かっているのにAmazonで買ってしまう。
それはなぜなのか。

 

その理由は、
Amazonが買い物の負担感を最小化してくれている」からだと思っています。

 

財布から1500円なりのお金を出して支払うのって、ちょっと負担感や罪悪感があるんです。別にお金がないわけじゃないし、家に腹を空かせた乳飲み子がいるわけでもないんですが、つい躊躇してしまう。

 

1冊ならまだしも、2、3冊で5000円近く出すとなると、なかなか心理的な負担感が大きい。

 

そこをAmazonはうまく対処してくれていると感じます。
やはり1clickで買えちゃうというのは大きい。


支払ってから少し時間が空いてから品物が届きますので、品物が届いた頃には支払の負担感は解消されていますし。

 

この傾向は、Kindleを買ってからさらに高まりました。
Kindleの本って、紙の本とちがって、時期により価格が割引になっていたりポイントがついたりするので、本を買ったときに、むしろお得感を与えてくれます。

 

そういうわけで、Kindle端末を買ってから、僕が本に使うお金は増え続けています。その一方で書店に支払うお金は減り続けているのです。

 

書店は、僕の生活にはなくてはならないものなので、時々は意識して書店で本を買うようにしていますが、意識してないと、ついAmazonでポチってしまう。もはや無意識の習慣レベル。

 

悩ましいです。
書店で手に取った本をレジを通さずに持ち帰れるようにして、代金は後日クレジットカードから自動引き落としにしてくれると、いいのになって思ったりします。

 

万引き犯からも自動引き落としできますしね。

幸福は捕まえられないことに価値がある

「幸福とは幸福をさがすことである」

 

僕はジュール・ルナアルのこの言葉を時々思い出します。寺山修司著作で、この言葉がときどき引用されます。

 

人は幸福というものを求めてあれこれ迷いながら、動き続けているわけですが、確固たる幸福なんてものはないのではないでしょうか。

 

少なくとも信じられるのは、うすらぼんやりした「幸福らしきもの」を信じて追いかけている、その瞬間には幸せがあるということです。

 

そんなことを考えていると、「動き=幸福」であるのなら、「停滞=不幸せ」という等式が頭に浮かんだりします。この等式はいささか乱暴ながら、今の僕にとってはリアルだったりします。

 

日本人の幸福度が低いという話を聞きますが、それは裏返すと「社会が成熟して安定しているから」という理屈が成り立ちます。

 

僕は公務員です。
そして間もなく、その職を辞めようとしています。
公務員になった理由は、いろいろな流れによるものですが、理由の一つに安定があったことは間違いありません。

 

公務員を辞めることについては、賛成する人もいれば、心配してくださる人もいます。そして聞かれるのはいつも、「せっかく手に入れた安定をなぜ手放すのか」というものです。

 

僕は公務員の安定というものを、十年以上享受してきました。
安定した給料が将来にわたり保証されています。
何より大きいのは社会的な信用度で、結婚や、子育て、自宅の取得をすべて二十代のうちにできたのも、この信用度があったからこそだと思います。
それは本当にありがたいことでした。

 

そのありがたさゆえに、こうしたことを言うのに、ずっと躊躇してきました。

だけど正直に言うと、安定って、つまらないのです。とても。

 

将来やる仕事、与えられるポスト、望みうる生活が決まってしまっているということを、恵まれているという人もいますが、僕はそう思いませんでした。これはおそらく性格の問題だと思います。

 

おかげで家族と出会うことができましたし、仕事の基盤も作ってくれたので、公務員としての十数年を否定することはありませんが、もういいかな、と。

 

僕はときおり、人生を大きく変えようとすることがあります。
自宅から通える大学に受かったのに、あえて遠くの大学を選んで一人暮らしを始めたり、公務員試験に合格して、地元の福岡採用も選べたのに東京採用を志望したり、そうした選択は勢いによるものですが、結果として人生を豊かにしてくれました。

 

さてここから、またしても大きな変化が待っています。それはかつてない変化をもたらすことでしょう。


ヒリヒリするような不安もありますが、楽しみでもあります。

 

最後に太宰治の言葉を引用します。晩年という作品の中から。

 

「安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは生のよろこびを書きつづる。」

 

さて、皆さんは、この言葉をどう解釈しますか?
僕は2通りの解釈ができると思います。

若者が消費しないのは不思議ですか?

最近の若者は消費しないって言いますよね。
車も買わないし、デートもしない。旅行にも行かない。

 

その原因を、「草食」などとして性格の問題とする意見があります。
それに対して「気持ちの問題じゃなくてお金の問題だ」という意見がある。

 

僕はどちらかといえば後者に賛成なのですが、かといって、若者にお金を渡せば消費が増えるのかというと、それも違う気がします。

 

なぜかというと、お金の問題が気持ちに影響しているからだと思っているからです。それもかなり深いところまで。

 

昔の若者と、今の若者では、将来の自分の稼ぎに対する信用度がまるで違うと思うんですよね。

 

バブルの頃の話を聞くとびっくりしますよ。
収入の10倍以上のローンを平気で組んでいたりしますから。
それができるのって、未来の稼ぎを信じられたからですよね。
さらに言えば、土地などの資産価値が上がることも信じられた。
(実際にはかなり資産価値が下落していたりするのですが。)

 

ひるがえって僕は(もう若者とは言えませんが)、ローンで自宅は買いましたが、これは新築後1年以上売れ残って値崩れしたタイミングで買ったものでした。

 

資産価値の上昇は最初から見込んでいません。その時の税制(住宅ローン控除)と自分の仕事(専業サラリーマン)という状況を踏まえてのことです。

 

おそらく審査を受けても収入の10倍以上のローンを組むことは可能だと思いますが、そうする気はありません。怖すぎますよ、金利もあるし。

 

自分が将来3億稼げる自信があるのなら、車に100万円かけても大したことじゃないと思うでしょうが、将来稼げるか不安だったり、年金に不安があったりすると100万円の出費が命に関わるくらいの選択に思えてしまう。

 

そういうわけで、現在の若者が消費離れするのも無理からぬことだと思うんです。

 

お金使わなくても楽しく過ごせますからね。
僕も欲しいモノってあんまりありません。
好きな人とご飯食べるのと、読みたい本を買うくらいでかなり幸せになれます。

読み終わった瞬間に全てを忘れてしまう。だったら再読&メモがオススメ

買う本ってどうやって選んでますか?


僕は特別な基準は設けていません。
なんとなく気になった本を手に取るだけです。ですから、当たり外れもそれなりにあります。

 

そうした当たり外れを簡単に分類してみます。

 

大吉:生涯かけて何度も読み返してしまう本
吉:買った時の興味を保ちながら読み切れる本
凶:買ったけれど、興味を失って開かないままの本

 

たいていは吉ですね。凶の場合もそれなりにあります。興味が突然失われるというのは不思議なものですが、仕方ありません。大吉は年に数回というところです。

 

そして今回問題にしたいのは、最も確率の高い、「吉」の本です。


読み終えることはできるけれど、その後読み返すまでの本ではないケース。

 

頭では理解しているんです。本は何度も読み返した方がいいと。
一回読んでもあまり記憶に残りませんからね。
あとから「あの本ってどんなだった?」って聞かれても、ほとんど答えることができない。読んだ記憶は残っていても、具体的に何がかかれていたかと聞かれると、分からない。

 

再読が望ましいと思いながら、それでもあまり再読をしないのは、読みたい本のリストが尽きないからです。


日々面白そうな本が発売されています。だから、それなりに読書をしていても、読みたい本リストは減るどころか、増え続ける一方です。

この問題は、ずっと僕を悩ませてきました。
読書にそれなりに時間をかけているはずなのに、いまいち自分の身になっていない感じがしてしまう。何となく消化不良を感じたまま次の本に移る。

 

こうした状況を何とか改善したいなと思うんです。


そして思いつきで最近始めたのが、
「超スピード再読&メモ」です。

 

これは、一度読み終わった本を、記憶が新しいうちにできるだけ早く再読して、ポイントをメモにしておくことです。

 

人間が一度に記憶できるのは3つの項目までと聞いたことがありますがイメージとしては、本からそうした3つの項目を最低限見つけ探し出す感じです。

 

当初は、一度目の読書からメモをとることを考えていました。
ただ、そうするとどうしても読書のスピード感が失われてしまいます。
本に集中できなくなってしまうんですよね。通勤中のように、読書環境によってはメモが難しくなってしまいますし。

 

ですから、とりあえず一度目の読書は今まで通り気ままにやることにしました。その上で、夜など机につけるタイミングで再読してメモに残しています。

 

数度このやり方を試してみたのですが、本の内容が記憶に定着するのを感じます。メモを通じて情報が整理されていきますし、なんとなく自分がメモをしながら、本と対話しているような気持ちになれるんです。

 

本からピックアップしたワードは、頭の中でインデックスとなっていきます。
このインデックスは、似たような問題にぶつかったときに役だってくれることでしょう。

 

時間は有限です。僕はできるだけ本を読みたいです。知りたい世界がたくさんありますし、できることなら、いくらかでも賢くなりたい。

 

今年の読書体験は、いつもより充実したものにしていきたいと思います。

そういえば35歳なんだと気づいて

気がつけば35歳になっていました。

 

もちろん自分の年齢は知っています。前回の誕生日にも、ちゃんとケーキにはロウソクを、長いの3本と短いの5本を刺しました。

 

でもまだ、ちゃんと実感してなかったんですよね。
そして思ったのは、
たしか「35歳になる頃には」って思ってたことあったなっていうことなんです。

 

でもそれがどうしても思い出せない。
何か大切なことだったと思うんですが。


きっと僕だけじゃなく、少なからぬ人が同じようなことを考えたことがあるんじゃないでしょうか。

 

それって、「未来の自分」をあてにしてたということなんだと思うんです。

すぐにはできないことを「未来の自分」に委ねる。
今持っている希望を「未来の自分」に託す。

 

これってそんなに悪いことじゃないと思ってました。未来に希望を持つのはいいことだって。

 

でも、今に思うのは、その繰り返しの中で人生が終わってしまうとしたら、寂しいなということです。

 

未成年の僕は20歳の自分をあてにして、20歳の自分は30歳の自分をあてにする。


そして35歳の僕は、どうする?

 

幸いというべきか、35歳の僕は20歳の僕より人生経験は積んでいます。


だから言えるんですが、「未来の自分」ほど信用ならない奴はいないと思うんですよね。

 

信用されるのも自分で、信用するのも自分ですから、裏切るのは簡単です。誰からも非難されることもありません。


だけどきっと、そうした裏切りを繰り返す過程で決定的な何かが失われていくんだと思います。

 

人生は有限です。
寿命が100歳だとして、
35歳の自分には65年分の未来の自分しかいません。
20歳の時には80年分の未来の自分がいたのに。

 

やっぱり、今なんですよね。
この瞬間に確かにあるもの。
実感に満ちた、やりたいこと、やらなければいけないこと。
それは「今の自分」が引き受けるしかないんです。

そうした「今」を重ねることでしか、未来の自分に約束を果たさせることはできない。そう思っています。

 

さて2017年。
何ができるかな。